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中国自動車道に朱塗りの橋を探して [プチお知らせ/日々の小ネタ]

§キミはあの朱い橋を見たか!?§

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さて、時は5月下旬、このあたりの日付というのは、ワタシが中学校時代の修学旅行を思い出す時期であることは、何度か言及していると思います。

その行き先が中国地方で、太陽の塔の傍を通ってバスで西へ向かった……ということも。

[参考]30年後の修学旅行/佐倉智美のジェンダーあるある研究ノート
 → https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2009-05-31 など

てか、コレ↑書いたのももう11年前かぁ…;

※じつは『女が少年だったころ』にいちばんバッチリ詳しいのですが…
 


ところで、そんな中国自動車道を西へ向かって走っていくと、途中、その高速道路の車線をオーバークロスで横断する、朱塗りの橋があるのをご存知でしょうか。

修学旅行のときも車窓からソレを発見して「お゛っ!?」と思ったのは、印象的なシーンとして覚えています。
その後も、各種の機会に当該箇所を通過する際は、そんな修学旅行での原体験をベースに、毎回、独特の感慨を抱いたものです。

端的に言って、その橋を通過するのが好き、その地点を通るのが好ましい心地よい。
自分にとって、そういう場所になっています。

高速道路という科学技術の時代の申し子たる近代的なインフラストラクチャーにあって、朱塗り橋というある種の宗教的な伝統文化の表象が、突如予期せぬタイミングで闖入してくる、そのミスマッチが、むしろ独特の趣を醸し出しているのが非常にエモーショナルで、それがワタシの心の琴線には、大いに触れるところがあったのでしょう。


で、その朱塗り橋。
実際にはいったいどこにあるのでしょう!?

じつは数年前、ソコんところがふいに気になった機会に、Googleマップとストリートビューを駆使して調べてみたことがあります。

その結果、どうやら安富パーキングエリアと山崎インターチェンジの間らしいことが突き止められました。
そのときのGoogleストリートビューのスクリーンショットを見ると、なるほど、たしかに高速道路という近代建築に対して非常に個性的な情感でのコラボレーションとなっています。

Googleマップでは橋のたもとには「安志稲荷の大提灯」との記載があり、少し離れて安志加茂神社の名前もあります。
ストリートビューでも、たしかに大提灯と鳥居が確認できるので、順当に考えて、この朱塗り橋は、地元の神社の参道なのだろうと推測できました。
 ※以下4画像(冒頭は直下のと同ファイル)Googleから

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それから幾ばくか時が流れた昨年の秋、ちょっとした所用でこの橋の近くまで赴く機会が得られました。

これは絶好のチャンスです。
ちょっと段取りを調整して寄ってみない手はありません。

かくして2019年11月、伝説のあの橋に肉薄することと相成ったのです。

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まずは山崎インターチェンジを降りて暫く走ると、ストリートビューにもあった大提灯と鳥居に迎えられます。

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鳥居をくぐって進むと、広場になっていて駐車スペースとして使えます。

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広場には、このような台座があって、ここに毎年、その年の干支の置物が飾られるようです。
後ろでは2020年に向けて、ネズミの製作が進められています。
以前のGoogleストリートビューのスクリーンショットは巳年のものだったみたいですね。

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さらに進むと、奥には安志加茂神社の本殿が待っています。
霊験あらたかな佇まいです。

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加茂神社の参道から分岐して稲荷神社も祀られています。

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弁天池には弁天さんも。

…こうして見ると、なかなか大きく立派な聖域であり、おそらくは地元で永きにわたって愛されている由緒正しき神社なのでしょう。

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さて、それではモンダイの橋のほうです。

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やはり、安志加茂・稲荷神社の参道として機能することを企図して架けられている橋であることは間違いなさそうです。
(以前のストリートビューと比べると、他所にて橋上から高速道路上に物を投げ落とす事件が問題になったことを踏まえてか、朱塗りの欄干に加えて背高のフェンスが追加で設置されています)

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[安志稲荷橋][昭和四十八年十月竣工]とあります。
昭和48年ということは1973年。
この区間の中国自動車道が開通する2年前に橋が出来ている勘定になるようです。

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橋を渡ると、参道はこの先から続いてきているようです。
何やら良さげな気脈を感じる景色です。
月並な表現ですが、ニッポンのふるさとの風景と言ってよいでしょう。

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さらに参道の坂を下りてみました。
どうやらここが参道の起点。
立派な石灯籠が立っていますし、かつてはここにも鳥居が在ったらしい基礎部分も残っています。
やはり地元では重要なポジションを与えられ大切にされている神社なのですね。

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というわけで、現地をリサーチしてあらためて理解できた気がします。

中国自動車道のこの付近は、少し小高くなっていた地形を掘削して(急坂にならないように)周辺と同じ高さで道路を通す「切り通し」で作られています。
トンネルにするほどの高さの地形ではないので上部が開放したトンネル……とでも理解すればよいでしょうか。

おそらく、そうやって中国自動車道を建設するとき、削られる場所に、ちょうど従来からあるこの安志加茂・稲荷神社の参道がかかっていたのではないでしょうか。

そのため、中国自動車道建設にともなって参道が失われる部分に、このように橋をかけて繋いだ。

さらに、せっかくの由緒ある神社の参道だということで、無味乾燥なデザインではなく、こうした朱塗りの、参道に似つかわしい意匠が採用された。

こうして、あの独特の印象的な、高速道路を朱塗り橋がオーバークロスという光景が誕生したのではないでしょうか……と推察できます。

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しかし安志稲荷橋は竣工が1973年だとすると、こうした措置は、いまだ高度経済成長時代の只中で検討され採用されたということになります。

1970年の万国博覧会をも含む昭和40年代は、科学技術の万能感と経済優先の風潮の中であり、ともすれば古い呪術や伝統的な習俗は軽視される傾向もあったはずです。

新しい国土設計の要とも言える高速自動車国道の建設は、いわばそんな趨勢のもとでの輝かしい未来の象徴であり、対して地元の土着の信仰なんてものは古き迷信にすぎないと切って捨てることもできたはずです。

にもかかわらず、橋を架けることで参道を保全し、その橋を朱塗りにして参道に相応しい外観にする。
なんという粋な計らいでしょう。

そこにある科学では割り切れない神秘なるものを尊重しようとする意志と、時代を越えて地域の人々の暮らしの中で培われた伝統文化へのリスペクトには、感銘を受けずにはおれません。

そうして、この令和の時代まで、かかる風光が佇まい続けているのは、じつに尊いことなのではないでしょうか。

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さて、というイイ話の後でアレなのですが、じつは本件とは真逆の事例が某所にあるのです。
そちらについてはツッコミブログのほうにまとめますので、よろしければご覧くださいノ

→ これは酷い!春日神社は祟っていいレベル
  /佐倉智美のジェンダーあるある研究ノート
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2020-05-28_MissingRoute


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