GID学会の第22回研究大会にて、個人報告をいたしました。

一般演題7
ポスト「GID」時代トランスジェンダー定義を展望する』
佐倉智美

◎報告要旨
「性同一性障害とは心と身体の性別が一致しない病気」。こうした説明はかつて人口に膾炙し、今日のLGBTの人権を尊重する機運の嚆矢のひとつともなった。しかし出生時に割り振られた性別属性に従って生きるのが正常だとするのは多数派原理に過ぎず、いわばトランスジェンダーはあくまでも自分らしい自己実現を追求しているだけである。むろん個々のトランスジェンダーが抱える各種の困難に対して適切なケアを提供するために医療が関わるとしたら名目上は疾病名が必要だが、今日では国際疾病分類が改訂され日本語訳としては「性別不合」を採用する流れにあるのは、そうしたトランスジェンダーを病理概念で捉えることへの疑義を受けてのことだと言えよう。
そも「身体の性別」とは言うものの、ジュディス・バトラーの論考などに端を発して、それらもまた、本来は生殖についての身体タイプの違いでしかないものに、社会通念が「男/女」と意味付けをおこなうことで再帰的に有効化される文化的なジェンダー概念のひとつであると解されるようになってきている。
また「心の性別」についても、シンボリック相互作用論などを補助線に当てて対人コミュニケーションの機序を俯瞰すると、それは各人の内部に原初的に存在するものだとは言い難くなってくる。つまり複数の人々からなる社会的相互行為の場における各人の自己呈示。言い換えるとひとりひとりの「ふるまい」。これが周囲にどう解釈され、いかにリアクションしあうかという力学を通して、人と人との間に「女らしい/男らしい」といった意味付けが生じる。これが「心の性別」であるかのように見えるにすぎないのだ。
したがって「性同一性障害」とされてきたものも、生殖についての身体タイプをもとに付与された男女属性に基づく社会からの役割期待と、各人が好み望む自己呈示・ふるまいへの意味付けとの間で起きるコンフリクトだったということになる。
これをふまえると、トランスジェンダーとは「身体を基準に出生時に付与された性別属性に準拠して社会関係上の他者から期待される役割・ふるまい・各種選好等と、本人が自ら希望する自己呈示における役割・ふるまい・各種選好等が一致しないことに起因して、本人の自己呈示が結果的に性別属性の越境や撹乱につながっている人」と再定義できまいか。


本報告の二次抄録は、学会誌 Vol.14に掲載される予定です。

なお「GID学会 第22回研究大会」は、本来であれば2020年に神奈川県川崎市の会場で開催されるものだったのですが、新型コロナウイルス問題で延期となり、検討の結果、本年の4月にオンライン開催されることとなったものです。


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